雑記

雑記

日常の欠乏観と夢の関係性

先日、30歳の友人に「夢があっていいねえ」と言われた。子どもには夢を持てと言うが、大人にはいつまで夢を見ているんだと言う。夢に魅せられていいのは何歳までなのか。

そもそも夢とはなんだろうか。

 

夢の辞書的な意味は、睡眠中に持つ一連の観念や心象であり、いわば幻覚のことだ。そこから転じて現実感のない願望を意味するようになった。

では、願望とはなにか。

希望や願い、こうあってほしい想いとある。無意識の欲望と言い換えられる。欲望とは、経験したことのある満足経験を再現しようとする心の動きである。また、心的緊張を解こうとする働きもある。

 

これらを踏まえて考えると、夢を持つ・自覚するのはいいことだろう。実際に夢を叶えた人もいる。だが、世間では年齢を重ねると「いつまで夢を見てるの」と言わる。

なぜか。

本気でその人を心配している場合もあるが、それは無自覚のあきらめや無力感、嫉妬ではないだろうか。夢とは、自分の満たされない気持ちだ。その不満を永遠に抱えることを強制される自分と解放される他者。憎く思うのも無理はない。

 

夢はいいものだが期限は、ある。スポーツ選手は肉体が全盛期のときに結果を出さなければならない。アイドルは恵まれた容姿を持ち、若いときに見出されなければならない。芸術家は感性が閉じる前に、センスを磨かなければならない。

夢破れても人生は続く。その現実を受容することが、一歩ではないだろうか。