雑記

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結局、結果を出すのは勘違いしてるやつ

世の中にすごい人やその業界で有名な人、一定以上の結果を残した、いわゆる成功した人の書籍は多い。その人たちの成功体験やノウハウが書かれた本は成功哲学書とも言われる。

ぼくはこの手の本が好きだ。成功の方法を知れるのなら、それを実践すれば自分も成功できるのではとも思うし、単純にビジネスのストーリーが小説のようで面白いからといのもある。

だが、果たして必要以上に読むのは正しいのかと思うようになった。そこで自分なりに成功哲学を分析してみようと思う。

 

成功哲学とは

まず、成功哲学とは、ある業界や分野で一定以上の成果やプロダクトをつくった人が、自身がどのような過程をたどったか、方法と思考、事例のノウハウのことをいう。

稲森和夫や孫正義など有名な会社の社長はだいたい本がある。あとは業界の第一人者とかも書いている、岡本太郎とか、林修とか、堀江貴文とか。

成功哲学というと胡散臭いように聞こえるが、ざっくり言うとある領域でてっぺんにいる人にどうやったらそこまで行けるか方法をご教授ください、というものだ。ビジネス領域の人の本が多いために、ビジネス哲学ともいう。

 

どのようなことが書かれているか

たどった過程や起こったこと、思考や学んだこと、方法論などさまざまなことが書かれているが、ここでは思想にしぼって何が書かれているか考えて生きたい。

おおきくわけるとふたつにわけられる。

ひとつは解釈だ。

出来事や考えたこと、起こっていることに対して、著者がどう理解して答えを出したか。読んでいて「全く新しい発見だ」というものは、1%以上あればいい本だと言えるだろう。

もうひとつは引用だ。

思想に限ったものではないが、本人が知る知らないに関わらずどこから引用、つまり影響を受けたり参考にしたりしている。ということは、そこに書かれているのは既知のものだ。だが、その引用が多くの人が使えば使うほど、法則性として頑強であると言えるだろう。

 

以上のことを考えると、成功哲学はどこかしらの古典から引っ張ってきているということになる。たしかに毎年いくつもの書籍が発行されるが、そんなに新しい思想が誕生するとは考えにくい。ということは、成功哲学を知るには古典から共通項を導き出せばいいのではないかと考えることができる。

 

古典の共通項

成功哲学書の古典の範囲はどうするか。

厳密には古代の哲学も範囲に含まれるのだろうが、範囲が広すぎるので、現代での成功という範囲に限定する。なので、近代のビジネスの古典にしぼる。7つの習慣や思考は現実化する、成功の掟などになる。

 

共通項はおもに3つだ。

ひとつは、目標を立てることだ。

願望でも野望でも夢でもなんでもいい。目的となるものを考え、それに対する詳細なプランをつくる。目標は漠然としていてはいけない。現実感があり、具体的であればあるほどいい。

もうひとつは、本心からそう思うことだ。

いかに素晴らしい自分の望みを具現化した願いを抽出しても、自分自身が実現不可能だと思っていることは、絶対にかなわない。

さいごは、誠実であることだ。

目標達成のために、人をだましたりずるをしたり、不届きな行為によって結果を出してはいけない。一時的に結果を出し、目標は達成されるだろう。しかし、それは一過性のものであり、継続してその状態が続くことはない。

 

 

エジソンゴッホ綾小路きみまろスーザン・ボイル、山中教授、斎藤孝など、長年不遇に過ごし成果を出した人はいる。スーザン・ボイルは40後半まで一般人だったが、歌手デビューをし、活動するようになった。

彼らを成功に導いたのは、あきらめない継続力なのは間違いない。しかし、ダラダラ続けていても成果はでないだろう。普通の感性ならあきらめるところを、いつか成功できるはずだと大いに勘違いした。その本心が彼らをそこまで連れてきたのではなないだろうか。