ライターを目指す毎日をつづるブログ

未経験から目指してます。10月1日をめどに正社員になりたいので、とにかく書いてきます

楽しいを考える

戦争とビジネス、スポーツは似ている。戦争とビジネス・スポーツは根本的に別ものじゃないかと思われるかもしれないが、戦略や戦術、情報、兵站など戦争の技術や考えから派生したものも多い。

近代のテクノロジーが発展するのは、戦争によるとよく言われる。スマホなどの携帯機器は、無線からの派生であるし、衛星は相手の場所を探知するためのものだ。爆弾や戦闘機をはじめとする科学技術は、優れた兵器や薬品によって効率よく敵をせん滅するためのものである。

戦争のことはビジネスやスポーツに転用できるし、ビジネスとスポーツも双方に関連しているということだ。不謹慎ではあるが、どれにも意志や熱量があったのは間違いないことであるから。

 

最近、ハイキューというスポーツマンガを読んだ。ここで注目したのは、とあるチームエースの木兎というキャラクターだ。彼はムラッ気があり、勉強も不得意なため賢くはかかれていない。しかし、感受性が豊かでものごとを本質でとらえているように描かれていた。そして、「“楽”じゃなくて“楽しい”を考える」という彼のことばは印象的だった。

 

自分に置き換えてみるとどうだろうか。

価値観は思春期に形作られると言われている。一般的には18歳までと言われているが、イギリスの研究では24歳ごろまでとも言われている。たしかに15歳ごろには元服が行われた思想体系と、晩婚化が進む現代では精神性が違うのも納得だ。となると、大学卒業周辺くらいまでが、根っこの考えに影響するということになる。

ぼくの場合は、戦略性とチーム制、才能がかみ合った時間と空間を過ごすのが楽しいのではないかと結論に至った。やはり、いままでの経験が価値観に影響してると実感する。

 

マンガはページ数が限られているので、メッセージを凝縮しなければならない。もちろん絵も大事だが、読まれるものはことばの力を持っていると思う。

最近頭が固いと感じてきたので、柔らかくするためにもいいコンテンツを読まなければ。マンガだけでなく、活字のほうを。

欲望とは何か

前回の記事で目的とは、衝動から得られる結果の見通しだと述べた。そしてそれらは欲望に関係しているとも。今回は、欲望の快欲求と欠乏感とは何かを考えていきたい。

そもそも欲望とは何があるかと言うと、有名なものだと食欲・性欲・睡眠欲であろう。食欲と性欲は関連性が深く、産後の授乳中の満足感が性欲の発露らしい。

 

では、満足感とはなんだろうか。

満足感とは、快感が充足されることだ。そのために脳内では、α波やらβエンドルフィンやらが関係するらしいが、ここでは統一して快楽物質のドーパミンが分泌ということにする。刺激に対してドーパミンが分泌され、脳内報酬系にアクセスされ記憶に残る。これが満足感のメカニズムだと考えられ、快欲求の仕組みだと思う。

麻薬などの薬品は、このドーパミンが通常の外的刺激の何十倍、薬によっては何百倍にもなるらしい。この満足感の構造がわかると、薬物依存症になるのもうなずける。

 

対する、欠乏感とはなんだろうか。

嫌だったこと、辛かったこと、満たされなかったことなど、何か欠けてしまったもののことだ。言い換えると原体験ともいい、それらの多くは生い立ちや思春期の記憶や感情によって形成される。もちろん、辛いことだけではなく、記憶に残っているものが鍵となる。自分を形つくった根っこの部分から表出したものであることが多いと考える。

作家などは、原体験が強烈なほどいいものが書けると言う。たとえば、ヤンソギル氏は被差別部落と父親との原体験がもとになっているのだろう。

 

欲望は、これらふたつから成り立つのが主になると思う。それを自覚することが、何をしたいのか、何のためにするのか、を理解するうえで考えなければならないテーマなのは間違いないだろう。

やりたい仕事、何をしたいのか、何のためにするのか

その時その時でやりたいと思う仕事に就いてきたわけだが、未だに明確な答えが出ていない。もちろん、今では編集・ライターの職業を目指しているし、その仕事が面白いと感じている。しかし、そのうえでその職業で何をしたいのか、と聞かれるとあいまいな答えしかでてこない。ひとつ出ていることは、才能を見てみたい・世に出したい、その人と一緒に仕事をしてみたい、ということだ。

もう少し具体的に考えていきたい。というのも、転職先の企業を絞るうえでも詳細を考えていたほうがいいし、何より卒業制作が迫っているので、ここ数日中にはとにかく答えを出して取り組まなければいけいないからだ。

 

「調べる技術・書く技術」の著者の野村氏は、自分が何者であるか、何のために書くのか、この2点は若いときに突き詰めて考えたほうがいいと言う(もちろん、現状で構わない)。苦しいとき、立ち返れる場所はそこしかないのだから、とも言う。

何者かはいったん置いておくとして、何のためにとはつまり、目的のことだ。では、目的とは何なのか。

哲学者のデューイは目的のことを、衝動が得られる「結果の見通し」と言った。結果の見通しをするには、知性が必要らしい。衝動とは内的欲求から生まれてくるものだ。となると目的とは、欠乏感もしくは快欲求のどちらかが要因となり、感情に作用するものだと解釈する。

つまり自分の経験により、どのような欲望があるのか、心の琴線に触れるものは何なのか、それに関係して何を達成したいのかなどに基づくということではないだろうか。

 

次回は、欲望とは何かを深堀していきたい。このことが自分を知るうえで、鍵となる考え方のように思えるからだ。

剽窃と翻案と

近年、小説や音楽作品などを剽窃したとして、さまざまなエンターテインメントで議論がなされている。中には事件に発展するものもあり、アーテイストやクリエイターにとっては、この問題は意識せずにはいられない。

 

では、なぜこのようなことが起こるのだろうか。

昔から秀逸な作品から、大筋を参考にしたり着想を得たりモチーフにしたりなど、翻案と言われる作品は多く作られてきた。そもそも、現代まで引き継がれた技術や方法論は、過去の作品を研究し、参考にして編み出されたものであるから、完全なオリジナルというものはほぼほぼ存在しない。どれだけ唯一性があるように思えても、必ず何かに由来しているものなのだ。なので、翻案の域まで作品を磨き上げていれば、もはやオリジナルと同等の扱いでもいいと思う。

 

剽窃と翻案の違いはなんだろうか。

それは、作品に対する敬意の問題ではないかと思う。参考にした作品に敬意をもって、自分の色を足していく。その色が少なかったために、元々の作品とほとんど同じ色に見えるから、剽窃と言われてしまうのだと思う。もちろん、剽窃をしないという意識が前提にあってのことだが。

 

ぼくが思うに敬意を忘れてしまう原因は、考えの浅さにあるのだと思う。

昔に作られた、自分が一からつくることができないような作品を参考にさせてもらってるのに、それを忘れて自分の頭で考えることを、面倒くさがってしまった結果、作品のエッセンスのみならずディテールまで使いこんでしまうのだ。

この現象は誰にでも起こりうると思う。もちろん、未熟なぼくなんて気を抜けば何が起こるかわからない。

とくに自分の頭で考えること、作品や技術などの敬意を忘れないこと。これは一生忘れてはならないことだ。

計画の進行を邪魔するものは

最近(最近に限ったことでないが)自分の立てた計画が崩れている。そのときに終了しているタスクが終了しない、一日での達成率が低いなど思い通りにいかない。

原因としてはわかっている。それは、タスク以外のことに誘惑されて、進行が妨げられていることだ。漫画、小説、アニメ、YouTube動画など日常の娯楽は、現代に溢れている。それらに手を出すと、数時間は手が止まり、気づけば寝る時間になるなどザラだ。

 

では、それらの誘惑にどのように対処するか。

ぼくの考えた対処法はふたつだ。

ひとつは、その誘惑がいっさい視界に入らないようにする。タスク時にデスク周りに置かない、もしくはそれらを手にするのを困難にするなどだ。具体的は、自宅にいるときは居室にいるときにはスマホを玄関に置いておくルールを決めるなどだ。

もうひとつは、どうしても視界に入ってしまい、投げやりな思考になったときの行動を決めておくことだ。たとえば、スマホを触りそうになったときは、スマホを一分間触らず、別の作業をするなどだ。怒りそうになったとき、一分間我慢するとその感情はだいぶ少なくなるらしい。

 

以上のように、タスクを邪魔する誘惑に対処して、思った進捗状況になるように計画を進めたい。

わかっていることと、わかったつもりなこと

文章にしたり人に説明したりするとき、上手く説明できないときがある。最近では面接時に、自分の中ではこうだろ、というようにわかっていたものが、実際には上手く話せなかった。

その原因はなんだろうか。

 

それは、言語化が甘くなっていたからだ。頭の中でわかったつもりになっていることと、実際にアウトプットできたものは違う。なので、自分の中に消化できていないもので本番に臨もうとしたから、いいパフォーマンスでなかったということだろう。

 

準備が9割、とよく言うが本当にその通りだと思う。次回は最善の準備をして臨もう。

天才と直観

ある特定の分野で、一般人には到達できないだろうと思われる領域に至ってしまう人々がいる。世間では彼らのことを「天才」と呼び、自分たちとは違う人種なのだと考える。

誰が天才かと言われると日本だと、イチロー孫正義堀江貴文小室直樹、藤井壮太あたりだろうか。海外だと、スティーブ・ジョブズビル・ゲイツ、シュリニヴァーサ・ラマヌジャンレオナルド・ダ・ヴィンチあたりだろうか。

彼らのやってきたことの全てを知ることはできないが、他の人と違い、その分野に多くの時間を費やしてきたことだろう。孫正義は、米国留学中は一日の16時間を勉強に費やし、食事中でも運転中でも、可能な限り読書をしていたと言う。真偽は定かではないが、彼の功績を見れば、そのことばの重みを知ることができるだろう。

 

天才たちは何が優れているのだろうか。ぼくが考えたひとつの結論は、直観が優れているということだ。

では、直観とはなにか。

例として、将棋棋士羽生善治氏の脳を研究してみると、盤面の判断に脳が活発になることがわかった。それは「思考の座」と言われる創造性を司る部位ではなく、「古い脳」と言われるほとんどの動物が持っている、本能的な行動を司る部位であった。このことは、長年の経験や習慣を意味している。

つまり直観とは、いままで生きてきた経験や蓄積された知識、研磨された技術によるものであったのだ。

天才とは生まれ持った才能が全てではない。もちろん、環境によって得手不得手はあるだろうし、その分野だけは感性がないゆえに才能がないという部分もあるかもしれない。しかし、それだけで決まるものでもないようだ。率直に言うと、どれだけ努力できたかということになるのだろう。

葛飾北斎は「富嶽三十六景」を描いたのは、70歳を過ぎてからである。それを完成させたときに、こう書き残しているそうだ。

 

70歳以前に書いたものはまったく取るに足らないもの

73歳で鳥やけものの、魚の骨格の何たるかをいくらかは悟ることができた

このまま修行をつづけていれば100歳で神妙の域に達することができるだろう

110歳まで続けられれば一点一画が生きているもののように描けるようになる

 

あなた天才たちにしかわからない世界だと、考えるのを諦めるだろうか。もしくは、ギフテッドと一般人は違うと悟りを開いてしまうのだろうか。