雑記

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現代の息苦しさをみんなが感じる前に、新興宗教はオンラインサロンを先取りしていた

いつの時代も大衆は不安があった。第二次世界大戦後、高度経済成長期を経験した集団は不安を感じることが少なかったのかもしれない。1960年代からバブル崩壊までの30年ほどをメインに社会人経験をしている人が、バブル後にいまは「不安の時代」の到来だとか、それを引き続いてリーマンショック後に不安は継続、日本は下り坂のような常識をつくったのではないか。
日本にいれば飢えはない。発展途上国のように10人産んで生き残るのが2,3人しかいない、ではなく医療も発展している。戦争もしないので徴兵令もなく、命の危険もない。

なぜ、現代において日本は不安である、とメディアは流すのか。

 

ぼくが考えるに、不安は最も儲かるビジネスだからだと思う。
不安はいつの時代も、豊かな人たちと比べることができるから、あえて創出されているのではないか。キリスト教は奴隷が多かったから、戦争は自国だけが今以上に豊かになりたいから。それを安易に克服しようと、自身を対価に支払う。不安ビジネスは合法的なドラッグのようなものじゃないか。

 

実利を得るために。ピタゴラス教団というオンラインサロン

という話を切り口に、オンラインサロンはなぜ流行っているのかを考えていきたい。
一番古いオンラインサロンは宗教だと思う。むかしは学術は集団ごとに秘蔵されていたらしい。なので、優れた知識を学ぼうと思ったら、入信する必要がある。「チ。」にもあるように宇宙のことを学びたかったら、キリスト教の天動説派でないといけないことからもわかる。

その先駆けっぽいものが、その中でピタゴラス教団というものがある。古代ギリシャの数学者であり、ピタゴラスの定理を発見した人だ。大学のようなもので、東大で学びたかったら、エ〇カンターレを信じよ、みたいなもの。当時は手段だったということだろうか。

 

現代の新興宗教こそ、オンラインサロンのパイオニア

時は飛び、昭和の宗教を例にあげる。○○学会と、○○の法で有名な宗教だ。このふたつに共通するものは「不安」からの解放だ。それではキリスト教と同じなのだが、現代だからかひとつ違いがある。

それは参加型なことだ。
どういうことかというと、宗教の活動をある程度主体的にやっている感があるのだ。役職を与えられ他のチームを率いたり、特定の目標に向かって行動したりなど。そしてそれが承認されるのだ。所属欲求と自己有用感の確認がなされているのだろう。キリスト教や仏教だと、祈ったり戒律だったり修行みたいで厳しい。

 

オンラインサロンとっぽいもの

ようやくオンラインサロンまできた。
いま流行りのオンラインサロンの特徴も新興宗教と同じだ。違いは不安の逃れ方だ。
宗教は漠然とした不安から逃れたいために、ひとつ絶対的なものを信じて没頭状態にする。フローともいう。つまり、何も考えられない状態にするのだ。

オンラインサロンの場合、それがビジネスであるのだ。自分のスキルを高めれば不安がなるなると信じるのだろう。オンラインサロン以前に、業界の勉強会や学会なども同じようなものだろう。
違いはオンラインサロンが新興宗教の色が強いのに対して、業界勉強会や学会はピタゴラス教団っぽいということだろう。ちなみに読書会もオンラインサロンに近いだろう。ただ、大衆のためのというところでは、新興宗教がオンラインサロンを先取りしていたことはある意味イノベーションと言えるかもしれない。