雑記

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才能と技術の違い

才能とは、ある特定の領域において、他より優れた結果をもたらす能力を言う。その点で自分に才能なんてものが眠っているとは思えなかった。そして、才能は遺伝子や環境で決まってしまっていて、これからを生きることでは開花することはないと、一般的には思われている。

しかし、他人より何か優れていたい、結果を残したいと願ってしまうのも事実だ。そもそも何を持って定義するのか。後天的に育めないか考えていきたい。

 

才能とはなにか

才能の辞書の意味では、「物事を巧みになしうる生まれつきの能力」とある。他には「ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力」ともあった。やはり生まれつきのものなのかと胸が痛くなったが、「物事をなしとげる」の部分に疑問を覚えた。結果や事象を引き起こせれば、先天的でも後天的でも関係ないのではないかと。

 

では、後天的に物事をなしとげるにはなにが必要か。

ぼくが考えるにふたつある。

ひとつは知識だ。

ある領域において幅広く深い情報の獲得と、最適化された思考が必要だ。

もうひとつは技術だ。

技術とは、ある結果をもたらすために最適化された一定の動作・作法とある。であるならば、枝葉の所作(技能)まで言及すべきだろう。技能とは、技術を要素分解、細分化したうちの、技術を構成するひとつであるそうだ。

となると、ひとつの技術と言えるほど最適化された動作は、複数の技能が合わさり、うまく作用しなければならないということになる。

技術についてまとめると、知識を得て、複数のスキルがうまく嚙み合った技術を駆使して、他より優れた結果を引き起こすことと結論づける。

 

こう考えると、知識と技術を持ってすれば先天的な才能に後天的に迫ることもできるだろう。

才能に、知識と技術をもって同等のレベルまで引き上げることは可能ではないか。ただ、時間を掛けて知識を取得し、作法を身につければいいという問題ではない。時間を掛けて技術が取得できるかということだ。音楽を例に取ると、6歳までに訓練をしたかどうかで、絶対音感を取得できるか決まるらしい。

このように、生まれや環境において備わった感覚を無視できない現実がある。それを受容したうえでの選択しか、ぼくたちにはできないのではないだろうか。