雑記

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おもしろいとはなにか

世の中のコンテンツで、充実した時間を過ごせるものは無数にある。ゲームや書籍、イベント、旅行など、私が知らないことも多数存在し、多種多様な価値観を持つ人々から選ばれて消費される。コンテンツが選ばれる理由は、それを通して体験したことが、ときを忘れ夢中になれるものだからだろう。書籍で言えばハリーポッター、サーカスではシルク・ドゥ・ソレイユ、テーマパークで言えばディズニーランドなどが挙げられる。

どのような体験が充実したものと言え、多くの人に選ばれるのだろうか。私の答えは、そのコンテンツが“おもしろい”からだと考える。同じような題材を扱っていても、選ばれる人数の差異が生まれるのは、おもしろさに隠されていると考える。

 

では、おもしろいとはなにか。エンターテインメントに造詣が深いわけではないので、結果としてなにがおもしろいコンテンツと言われるかという視点で考えてみる。

私は、論理性と希少性だと思う。順番に説明しよう。

まず論理性とは、コンテンツのなかに、どれほど高度な知識や技術が使われているかということだ。質を担保するには、そこにどれだけの時間を掛けられているか(知識取得や技術研磨をする時間も含む)に左右されるのは自明の理だろう。また、コンテンツを支える土台となり、正統性を証明する役割を持つ。

希少性は、単純に世の中の絶対数が少ないか、もしくは存在していないかだ。どれだけ充実した時間を過ごせて、感動するコンテンツであっても、10、20、100回の体験をすると、体験に対する価値は目減りしてしまうことは否めない。学生生活や社会人生活でも、2年目は慣れにより、充実度は下がると思う。もちろん、何回も楽しめるコンテンツはあると思うが、楽しめる限界の数はある。なので、いかに知られていない価値を提供できるか重要になる。

 

まとめると、論理性である技があること、周囲にはない珍しさあること、このふたつを備えているコンテンツがおもしろいと考える。ゆえに、クリエイターは技を磨き、多数の視点と視座を持たなければならない。

ただ、おもしろいとはひとつの論理で完結はしないと思うので、引き続き考えていきたい。