雑記

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良い選択・悪い選択が人生にどう影響するか

医療や健康に興味があるのは、自分軸と距離が近かったからだ。他にその現象を解明するのはおもしろいと思うが、医者や医療従事者みたいに命を救いたいとは思わない。もちろん、とても尊いことだし素晴らしいことだ。しかし、一般的に尊い・感動されるものが、自分のやりたい・好きと重なるとは限らない。その軸は、他人の人生を生きることだし、思考停止か思考放棄だ。

 

と、実際にこの考えで26歳まで過ごしたからこその気づきであった。これは後々しんどい。なぜならストレスだからだ。

判断軸をメリットや自分と異なる考えで選び、興味や価値観を無視するとダブルでストレスを受ける。それらが一日に与える量は微小だが、精神病と同じく日々の蓄積が耐久の器から溢れたとき、良い出来事の衝撃より攻撃力の高いものとなる。30代後半から40代後半にこの現象が多いのは、世間の価値観を自分の考えとして行動してきた結果だろう。

これらの話を切り口にして、人生に影響を与える良い・悪い選択を考えていきたい。

 

では、良い選択とはなにか。

ぼくの答えは、ついついやってしまうことだ。具体的には、やらなきゃいけないことーわかりやすい例は仕事であるーがあるにもかかわらず、関係がなくやってしまうことだ。

仕事関連の資格を勉強しなければならないのに、ついつい小説を読んでしまう。家事をしなければならないのに、ついつい友達と長電話してしまう。前者は物書きに向いてるかもしれないし、後者は営業職に向いているかもしれない。あくまで、そのヒントだが。良い選択をひとことで言うと、偏見だ。

 

反対に、悪い選択とはなにか。

それは、自分軸でないことだ。自身と異なる考えは、自身が考えたくない・やりたくないことだ。世間で良いとされる価値観は、その社会その時間軸の一点においてのみ成立する。昭和と平成の価値観が違うのは、この構造上の問題があるからだ。悪い選択をひとことで言うと、常識だ。

 

良い・悪い選択をしたとき、脳内にはふたつの物質が生成される。ひとつは、ドーパミン。もうひとつは、ノンアドレナリンだ。正確にはもうひとつあり、セロトニンだ。これらの説明をすると長くなるので、気になった人は調べてほしい。

まとめると、偏見にはドーパミンが、常識にはノンアドレナリンかセロトニンが分泌されるのだ。なので、できるだけドーパミンが発生する行動を取れば、ストレスは相殺もしくは充実を感じることができるという仕組みだ。

 

アインシュタインは「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」と言った。つまり、思春期の経験が良い選択基準になったり、やりたいことに繋がるのだ。ちなみに、アインシュタインが言った18歳までというのも当時判断したら、という話だ。最近は24歳くらいまでを思春期というらしいし、偏見的な価値観が定まるのは20代までとの説もある。

より気持ちよく生きるために、自分の快楽の源泉はどこにあるのか。無料のネットコンテンツで時間を浪費しがちな現代人にとって、向き合うべきことだ。