雑記

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才能は生まれつきか

特定の分野で結果を残した人は、才能があると言われる。たとえば、絵がうまく、広告賞などを取ったら、その人は絵を描く才能があったから賞が取れたんだだろうと。ビアノを弾くのがうまく、グラミー賞を取ったら、その人は音楽の才能があったから賞が取れたんだろうと。

たしかに才能があると言われる人は、幼少のころから特定の分野に関わってきたことだろう。運動神経は、6歳までにどのようなスポーツをさせたかで決まると言われることもある。さまざまな事例と論理から導き出すと、才能とは、幼少から成人になるまでに、どれほど教育を受けられたかによって左右されることになる。

これが真実ならば、お金持ちはすべて才能持ちであり、貧乏人はすべて凡人にしかなりえない、ということになる。このことはある側面から見たら正しいと思う。しかし、それだけですべてのものごとの才能がないとなるのか。

そもそも才能とは、なんだろうか。そこから考えていこう。

 

才能とは、センスのこと

才能とは、ある特定の分野を人よりすぐれた結果を弾き出す能力のことだ。この説明だけでは、よくわからない。

才能の考え方に関しては、水野学氏の著作「センスは知識からはじまる」の説明がわかりやすいので紹介する。

才能とは、センスのこと。では、センスとはなにか。センスとは、その分野で良い悪いの判断ができる基準があること。そして、その分野の知識を持っていること、だそうだ。そして、そのふたつをもってして、事象をよいと思われる形にすること。

つまり、よい基準を高解像度で、サービス、ものごとを最適化する能力といえるだろう。そして、よいものをたくさん知っていること、そのなかで良い悪いの基準をつくることによりセンスを磨くことができるという。

 

センスをつくるのは、いつからでもいい

さて、本筋に戻ろう。センス(才能)は、たしかに生まれが関係するし、幼少期から高度な教育を受けていることも重要だろう。

しかし、センスは知識の集積によって磨かれる。つまり、いつからでもセンスはよくなるのだ。なので、結果が出ないのをセンスのせいにしないで、なにか一歩踏み出してみよう。やらないままより、やったほうが世界(知識)は広がるはずだ。