雑記

雑記

天才と直観

ある特定の分野で、一般人には到達できないだろうと思われる領域に至ってしまう人々がいる。世間では彼らのことを「天才」と呼び、自分たちとは違う人種なのだと考える。

誰が天才かと言われると日本だと、イチロー孫正義堀江貴文小室直樹、藤井壮太あたりだろうか。海外だと、スティーブ・ジョブズビル・ゲイツ、シュリニヴァーサ・ラマヌジャンレオナルド・ダ・ヴィンチあたりだろうか。

彼らのやってきたことの全てを知ることはできないが、他の人と違い、その分野に多くの時間を費やしてきたことだろう。孫正義は、米国留学中は一日の16時間を勉強に費やし、食事中でも運転中でも、可能な限り読書をしていたと言う。真偽は定かではないが、彼の功績を見れば、そのことばの重みを知ることができるだろう。

 

天才たちは何が優れているのだろうか。ぼくが考えたひとつの結論は、直観が優れているということだ。

では、直観とはなにか。

例として、将棋棋士羽生善治氏の脳を研究してみると、盤面の判断に脳が活発になることがわかった。それは「思考の座」と言われる創造性を司る部位ではなく、「古い脳」と言われるほとんどの動物が持っている、本能的な行動を司る部位であった。このことは、長年の経験や習慣を意味している。

つまり直観とは、いままで生きてきた経験や蓄積された知識、研磨された技術によるものであったのだ。

天才とは生まれ持った才能が全てではない。もちろん、環境によって得手不得手はあるだろうし、その分野だけは感性がないゆえに才能がないという部分もあるかもしれない。しかし、それだけで決まるものでもないようだ。率直に言うと、どれだけ努力できたかということになるのだろう。

葛飾北斎は「富嶽三十六景」を描いたのは、70歳を過ぎてからである。それを完成させたときに、こう書き残しているそうだ。

 

70歳以前に書いたものはまったく取るに足らないもの

73歳で鳥やけものの、魚の骨格の何たるかをいくらかは悟ることができた

このまま修行をつづけていれば100歳で神妙の域に達することができるだろう

110歳まで続けられれば一点一画が生きているもののように描けるようになる

 

あなた天才たちにしかわからない世界だと、考えるのを諦めるだろうか。もしくは、ギフテッドと一般人は違うと悟りを開いてしまうのだろうか。