雑記

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やりたいことを最大化する「集中力」のつくりかた

一般的に年齢を重ねると、時が経つのが速く感じると言われている。社会人として何年か過ごすと、そのことを如実に感じるようになった。なぜそんなことを考えたかというと、やりたいことが20代半ばを過ぎてから出てきたからだ。

 

それまでは頭の片隅に、高校の部活や大学のサークルのように仕事を充実と漠と思っていたくらいだった。それらしきものを見つけたのが、20代半ばだったということだ。そこから時間を意識するようになった。

という切り口で時間と集中力について考えていきたい。

 

時間という感覚を研ぎ澄ますには

仕事を充実するには、時間を有意義に使うことが必須となる。だが、時間は平等に与えられるものしかない。では、どうするか。

対症療法でしかないが、生産性の高い「時間」をつくることが、いまできることではないかと考える。やることはふたつある。

 

ひとつは、集中して時間を過ごすことだ。

いわゆる「フロー」と言われる状態になることだ。スポーツ選手や芸術家は、意図してフローをつくり生産性を上げている。ぼくらもこの状態をつくれれば、時間の質は向上するはずだ。

 

もうひとつは、時間の感覚を引き延ばすことだ。

冒頭にも述べたが、時間が過ぎる感覚は年々速く感じるようになる。その理由は未知がなくなるからだ。幼いころは、全てが知らないことであり、良くも悪くも毎日が新鮮であったはずだ。それらは未体験なことであるため、脳がより情報を得ようとフルで働く。だが、時を経るごとに経験のないことはなくなり既知の情報で埋め尽くされる。そうすると脳は既に知っている知識なので、感覚を開いて情報を取得する必要がなくなるのだ。

これが時間を短縮されたように感じる原因である。どう対処するか。

それは新しい体験を多く取り入れることだ。読書でも映画でも、普段通らない通勤路でもなんでもいい。未知の体験こそが時間を引き延ばす処置なのだ。

認知症はなぜ起きるのか。善悪ではないが、それは既知で人生が埋め尽くされているからではないか。物事がわからなくなるのではなく、時間感覚が消失してしまうのではないか。治療法として、患者の生きがいをつくると認知症レベルが改善するらしい。

 

時間は有限だ。しかし、感覚は昔に戻ることはない。ぼくらにできることは、いまできることをするしかない。

最近気づいたことだが、睡眠を適切に取れると集中力が増す。また、時間感覚も長くなる。測定には1曲がどれほどの早さで流れたかを調べてみるといい。集中できているときはゆったりと聞こえ、逆だとロックのように速く終わってしまうはずだ