雑記

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人間はAIの奴隷になるのか

ビルゲイツは数十年以内に約8割の仕事がAIに奪われると言っているらしい。その記事を読んだときは社会人1年目だったので、衝撃的だったことを覚えている。その未来が来るなら、いま学んでいることは全て無駄ではないかと。

しかし、いまになって思う。それは本当に実現するのか。いままで開示されている情報から考えていきたい。

 

AIにできること

AIの発展により、20年前と比べて便利になった。その技術はGAFAにも使われている。グーグル検索やiPhoneのsiri、Facebookの投稿や広告、Amazonのおすすめ商品などだ。

なぜできるのか。

統計学により、膨大な情報のなかから最適な回答を導くことができる。さらに機械学習により、その精度をあげているからだ。これらは人間の行動を理解し、知能を持っているように見える。

 

AIにできないこと

知能を持っているように見えるが、それは違う。なぜなら、意思疎通ができないからだ。siriやアレクサ、駅構内になる案内AIはコミュニケーションを取っていると言う人もいる。だが、感情や言葉のニュアンスは理解していない。膨大な統計情報から回答しているに過ぎない。また、画像処理はできるが動画処理はできない。なぜなら、画像は文字の7倍、動画は文字の5000倍の情報を持つと言われるように、AIの処理能力を超えているからだ。

AIの知能については、IBMのワトソンを見てみるといい。日本ではAIと紹介されていたりするが、IBMの公式定義では人口知能ではなく「拡張知能」としており、あくまで人間の意思決定を支援するとしている。

ちなみにイミテーション・ゲームという映画でグーグル検索のもとの理論となった兵法処理技術をテーマとしているので、興味があったら見てほしい。

 

つまり、AIとは情報処理と統計の技術によるものである。単純化作業であれば、多くの仕事が機械に奪われる未来はくるだろう。まさに人間の想像できるものはすべて実現できるを体現していると言える。

人間の活路はどこにあるかと考えると、人間の想像しなかった領域に踏み込むしかなのではいか。それは既存のものでなく、新しいものを生み出す仕事。未来をつくることが、機械に代替えされない仕事ではないか。