雑記

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芸術と人格

芸術とは、表現者のつくったものを鑑賞者が体験することにより、なんらかの感情が湧き上がる活動のことを言うらしい。先入観で芸術を考えていたときは、古くからあり格式高く、娯楽とは一線を画すもの、というイメージであった。しかし、前出の意味ではすべての創作物が芸術とおおきく捉えることができるだろう。絵画や小説、演劇だけでなく、エンタメや漫画、ゲーム、SNSでも、視点を変えれば芸術と見れる。

 

では、なぜ芸術を鑑賞するのだろうか。ほぼ日刊イトイ新聞の対談で、吉本ばなな氏は「表側のニーズは表側で満たせるけど、内側のニーズは満たせない。潜在意識は広大だから、そっち側に対して満たすものがないと人は生きていけないんじゃないでしょうか」と言う。

人間はすべての欲求を満たしている人はほとんどいない。もちろん、世の中にはそのような人もいるが、有限の時間のなかでは難しい。

だからこそ、代用品として芸術が求められてきたのだと思う。芸術を通して、欲望を疑似体験して自分を満たしているのだ。となると、個人の好き嫌いという性格、ひいては人格に根ざすものではないかと考えてしまう。逆に言うと、何が好きかを調べることによって、自分の理解も進む。たとえば、ハリーポッターは未知があふれる魔法世界だ。それを求める人は、既知の現実世界に退屈しているので、疑似体験としてファンタジーを求めるのだろうか。

 

これはコンテンツをつくるうえでも大事な視点だ。IT化が進む現代では、消費者は便利なコンテンツを求める。便利さは生活を補助はするが、感情が揺り動かされる体験が生まれることは、ほぼない。今後ますます膨大になる情報化社会で、体験のない消費よりこころを満たす体験が、今後求められるのではないだろうか。SNSで満たされるのは、表層のみの欲望ではないだろうか。

とある経営者は死の間際、「おれは芸大に入りたかった」と言ったらしい。自分のいちばんの欲求を自覚することも、どのようなコンテンツが感動を生むのかも、これから考えていきたいテーマだ。