雑記

雑記

新型コロナウイルスでも変わらなかったもの

新型コロナウイルスの蔓延により、働き方が変わった。テレワークが推奨され、出勤時間が少なくなり、会議の数は減り、生産性は上がったように見える。外出自粛が呼びかけられ、お金を使う機会が減り、出費が減ったというデータもある。そして浮いた時間で「副業」をする人も増えてきた。

仮に新型コロナウイルスが終息しても、このような働き方の変化が続けば、日本社会は生産性が上がるように思える。

 

命の値段

飲食店などの事業を展開するのが難しい業態を除いて、労働環境としては、いい変化しか起きてないように見える。しかし、悪い部分は隠されている。では、なにが隠されているのか。

それは命の価値が軽いことだ。命とは寿命のことであり、人が持つ限られた時間のことだ。そして、人の持つ時間は、お金に変換できる特徴を持つ。

冨樫義博氏の著書「HUNTER×​HUNTER」の世界観をイメージしてもらえると、わかりやすいだろう。その世界では、富豪や権力者、戦闘能力が高い者によって、その他の人間の命を自由に取り扱うことができ、動物社会の「弱肉強食」に似ている。

このようなことが、取り扱われる者に知られることなく、起こっているのが以前からの傾向だ。実際にどのようなことが起きているか、事例を見ていく。

 

国家予算の使い方

国家予算は、主に税金で集めたお金をどのように再分配するかを決めることである。つまり、国として行う事業は、私たちの払う税金によって支払われているのだ。となると、国の主導する事業で、特定の企業に破格の値段で事業を委託することは、税金の無駄遣いと言っていいだろう。いくつか紹介する。

ひとつは、持続化給付金事業をサービスデザイン推進協議会が落札後、電通に委託した事例である。入札談合うんぬんの話は置いておいて、電通や下請け企業の得た利益に注目したい。電通も、外部企業に委託をするわけだが、残った金額の約100億円が電通の利益になった。また、下請け企業は60社以上あり、ここでも利益が抜かれていると推測する。

もうひとつは、新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA(ココア)」だ。委託された複数の企業によってアプリが開発されたが、その複数の企業はアプリのバグを4カ月放置していた。

委託企業のひとつは、大手人材派遣会社のパーソルホールディングスの子会社であるパーソルプロセス&テクノロジーだ。こちらも、どのように委託されたかは省くが、開発を誠実に遂行していたとは言い難く、機能停止に等しい状態が長期間続き、期待された効果を生み出すことはなかった。

最後は政治の利権に絡んだGo Toトラベルの事例だ。使われた予算は約1兆円である。感染症対策に関する医療体制の予算より、やや少ないぐらいの金額である。

感染者数の推移を見ると、緊急事態宣言下では感染者数が減少し、緊急事態宣言が取り下げられると感染者数は増加することは明らかだ。なぜ、感染者数を拡大するような事業に予算が割かれているのだろうか。

この背景には、全国旅行業協会の会長を務める二階俊博幹事長が主導していると考えられる。つまり、献金と引き換えに、自身の支援団体が利益を得られるように動いたと推測される。

 

不安をあおるメディア

新型コロナウイルスの蔓延によって、経済活動は縮小し、メディアはコンテンツのもととなるネタが減少した。外出自粛を行政や企業から要請され、思うように取材も行けなくなっただろう。これに伴い、コンテンツの生産量も従来のやり方で制作する数は減っただろうと思われる。しかし、コンテンツをつくり、通読料や広告費を稼げなければ企業の利益は減少する一方だ。

利益を稼ぐために、生活者の恐怖や不安をあおるようなコンテンツを制作するメディアが一部出てきた。もちろん、正しい情報を伝達することは必要だと思う。一定の質を担保するために、利益を得る必要性も理解できる。しかし、過剰に不安を植え付けるようなコンテンツをつくることは、読者にとって誠実であるとは言えない。一例として、新型コロナウイルスの実態や対策については、フェイクニュースなどを含め、現在も間違った見解を発信するメディアなども存在する。それに触発された人が国会前でデモを行うなど、一定数に影響を与えるのは確かだ。

似たような事例として、インターネット広告がある。サービスや商品、セミナーの誘致などさまざまだ。こちらも閲覧数などにより広告費が決まったりするので、プロダクトの本質以上の広告表現が使われることが、一部存在する。インターネット広告が登場して、閲覧数が伸びれば、なにをしてもいいという広告はいさめられてきたが、新型コロナウイルスが登場してから、そのような声も聞かなくなったように感じる。

このように生活者に対して与えるメリットよりも、企業が得る利益のほうが大きくなる構造になっていると考えられる。もちろん、企業の目的は利益を得ることなので、一概になにが悪いと論じることは難しい。だが、生活者からお金をかすめ取るような企業は、存続する価値があるのか疑問である。

 

人をたたき売る企業

企業が労働力を必要とするとき、必要な人数だけ、必要な期間だけ人材を確保することができるのが人材派遣業である。現代の人材派遣業が盛んになったのは、米国の人材派遣業を営む「マンパワーグループ」が1966年に日本で設立されたのを皮切りにする。そして、後にパソナが設立され、人材派遣業の市場は加速度的に増えていった。また、近年フリーランスに対して仕事をあっせんするクラウドソーシングを運営する企業もある。

たしかに、企業の人件費削減や事業推進に効果があるのは認められる。雇用は期間限定であるため、プロジェクト単位で人材を確保すればよく、終了後のコストを気にしなくていいのも利点だ。また雇用者やフリーランスは、仕事の案件で予定を組むため、やり方によっては自由に生活をカスタマイズすることが可能になる。

しかし、企業の人件費削減に貢献するが、被雇用者が所得を向上するのは難しいだろう。なぜか。それは、あっせんされる仕事は単純作業や肉体労働が多いからだ。なので、スキルアップが難しく、年齢を重ねても同一賃金で推移することが多い。40歳で派遣労働者のみ経験していると言う男性に取材をしたことがあるが、裕福とはいいがたい状況のようだ。

また、クラウドソーシングでは、資格が必要なく、だれでもできるような仕事は単価が低く、案件数が一番多いと思わる。本業であっても、副業でやるにしても、人材派遣業より、報酬は少ないと思われる。

完全にこの事業が悪である、とは言えない。被雇用者が一定数集まるのは需要がある証拠だからだ。状況によっては、自ら派遣労働者を選択することがメリットになる人もいるだろう。しかし、いたずらに非正規雇用者の労働市場を増やすことは、貧富の格差を助長してしまうだろう。

 

考えるという資源

新型コロナウイルスによっても変わらなかったこと、「命の価値」の一部事例を紹介した。この傾向は、新型コロナウイルスが終息した後に、より加速するだろう。

なぜなら、それでお金儲けができてしまうからだ。人間、自分が満たされていなければ、他人に優しくすることはできない。それが、法律上で人格を与えられているに過ぎない会社であればなおさらだ。

他人の命を軽く扱うことは、他人に無関心である証拠だ。そして、人間は他人を通して自分を知ることがあるため、他人に興味がないことは自分にも興味がないことを表す。つまるところ、他人の命を軽んじることは、自分の命を、生きる意味をないがしろにすることと同義だ。

では、そんな世界でどのようにして生きていけばいいのだろうか。私は各々が考え続けるしかないと思う。フランスの哲学者であるブレーズ・パスカルは「人間は(中略)考える葦である」と言った。人間に唯一許された思考という能力。これを最大限活用し、自分なりの武器をつくるしかないのだ。自分と大切な人の命を守るためには。