雑記

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クリエイターに必要な能力

編集者やライターに必要な能力はなんだろうか。求められるのは、売れるものをつくることと、いいものをつくる能力だ。

 

まず、つくったものがどれだけいいものでも売れなければ、それはいいものではないというレッテルを貼られる。もちろん、売れているものよりいいものは多くある。しかし、消費者に認知されなければ、中身がどれだけ高品質でも社会に価値を認められない。また、企業は営利組織であるため、継続的にものづくりをするためには利益を出すことが求められる。

たとえば、いまでは多くの人に知られている「鬼滅の刃」という漫画は、ジャンプ連載初期の読者ランキングでは下位であった。もし、アニメ化やプロモーションなどがなされず認知度が低いままであったなら、途中で打ち切りの可能性もあっただろう。結果としては映画化するまでになったが、打ち切りであったなら、これほど人気にはなっていなかっただろう。これらの理由で、まずは売れるものをつくる能力が求められる。

 

次にいいものをつくる能力だ。編集者は実際にクリエイターではないため、いいものを世に送り出すといってももいい。どれだけ売れても、それらが必ずしもいいものとは限らない。商品はさまざまな要因で消費されるがロングセラーとなるものは、少ない。本当にいいものは、長く使われる。

古典がいい例だ。アドラーシェイクスピアなどは、いまでも読まれたり読まれたりする。聖書はキリスト教が成立してから、ほとんど形を変えずに残っている。ビジネス書は、上位に名を連ねる本は100年以上前にかかれたものも多い。

このように、いいものは長く多くの人に消費される。売れることも大事だが、私はいいものをつくることに重きを置きたいと思う。

 

そして、上記ふたつの能力の根幹となるものがある。それは、ジャッジする能力だ。企画段階や製作段階、詰めの段階でコンテンツを判断しなければならないときがある。売れるものをつくっても、クオリティの高いものをつくっても、世に出すためには、判断を下さなければならない。最終的な選択がコンテンツの質を決めるといっても過言ではないだろう。

操上和美氏は、納得した仕事だけを受け、納得するまで写真を撮ることで有名だが、いちばん大事なことは、撮った一枚の写真を判断することだという。

 

技術は積み重ねて、進歩させることができる。しかし、読者としての感覚は、膨大な量と、それらに対してどれほど思考したかによってしか磨かれない。さらに言うなら、若いころの感受性はそのときしか培うことができない。このことをは、常に念頭に置いておきたい。