雑記

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情報量から見る3次元と2次元との違い

駅の中で宣伝用のポスターを見た。いわゆる交通広告と言われるやつだ。そのポスターには人物が写っており、イラストレーションと実写の2種類があった。

パッと見ではイラストレーションのほうはきれいだな、ぐらいの感想だった。ただ実写と並べてみると違和感がある。なにが違和感なのかと考えてみると、目の大きさだった。イラストレーションが実写より、目測だが縦の目の大きさが2倍ほどになっていることに気づいた。

現実でも見た目の第一印象決める重要なパーツは、目が91%だそうだ。その他は唇や髪型があるが、それらは約30%ほどらしい。もちろん細部にこだわるのは大事だが、人物において目の印象が、そのグラフィックの印象を決定づけるのは間違いない。

たしかに、最近の女性のメイクを見ていると、目元を鋭くしたり、逆に柔らかくしたり、涙袋に印象をつけたりと、目にまつわるおしゃれが増えているように思える。

 

情報過多の時代でいいものはわかるのか

では、なぜこんなにもイラストレーションなどが増えたのだろうか。理由はふたつある。

ひとつは、画像は文字の7倍もの情報量を伝えることができるとされており、テキストだけで構成されるメディアより差別化がしやすい。そのため、ある程度のスキルを持つ人たちが、特定なことにカスタマイズされたイラストレーションを量産してつくられたのだろう。

もうひとつは、率直な意見を言うと、IT化による全人類が発信できるからだ。上記の有用性に加え、誰もがつくれ、誰もが発信することができる時代になったので、クオリティの高低にかかわらず多くのプロダクトがつくられたのだと思う。

ちなみに、動画だと文字の5000倍の情報量を伝えることができるらしい。一説によると、YouTube動画の一日に投稿される動画を見終わるには、83年かかるそうだ。

 

このように情報過多の時代で、情報量が多いことはけっしてメリットではない。なぜなら、その情報が有用だと担保されていないからだ。もはやすべての情報を網羅し、正誤や品質の高低を判別するのが不可能な時代で、発信側も読み手側にもモラルが求められることなるだろう。読み手が間違った情報や、よくない商品やサービスを支持すれば、それが時代の回答となりえるからだ。

本当にいい商品・サービスやいいことをしている人が報われる時代になってほしいものだ。