雑記

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アハ体験をしてみた

ブログを書いていて、サクサク書けるときと時間が掛かってしまうときの違いはなんだろうと考えてみた。構成をかっちり組むだとか、推敲を何回したなどは置いておいて、筆が乗っているとはどういう状態かはどういうものか、ということについてだ。

 

ぼくが考えたのはふたつある。

ひとつは、書いているテーマに関しての知識の量だ。そのテーマの情報が多くあり、深さもあり、そして多角的に集まっているという素材の問題なのである。

もうひとつは、テーマをどのくらい考えたかだ。テーマをさまざまな視点で、こうでもない、ああでもない、この場合はこうだ、など考える量に起因することである。

 

以上のふたつの掛け算が大きくなるほど、筆が乗る状態をつくりやすいのだと感じた。たしかに自分の興味のないテーマは知識が少ないため、これなんだっけ?となったら調べてないといけないため、筆が乗りずらい。また、思考の量が少ないと、そもそも考えることからはじめないといけないので、書いている途中で筆がストップする。

 

よくプロライターさんは、ライターになるにはまず専門分野になれ、という。これはブランディングと生産性、ふたつの観点から理にかなっていることだったんだなと、いまわかった。

これが遅れてやってくるアハ体験というやつかと、勉強になりました。

常識とはサーフェスウエブみたいなもの

士農工商と聞けば、江戸時代の身分制度として有名だ。いまは歴史学的な観点ではなく、当時学んだ知識を下地にしているということを前提にしている。その文脈で言うと、江戸時代は身分制度が決まっており、武士に生まれたら一生武士として安泰で、農民に生まれたら一生畑を耕す農民として生きていかなければならないと記憶している人も多いと思う。

以前そのことで友人と話したが、全体で見た場合はそのような見解は可能だった。しかし、当時は藩ごとに独立採算制を取っており、農民から商人になることは可能であった。また、家長制度を採用しており、長男は農民を引き継ぐことが多かったようだが、次男や三男は出稼ぎに行ったり、町人に転職したりということもあったようだ。

このように、農民に生まれたから必ずしも農民として生きなければならないわけではなかったようだ。もちろん、商人や工人などになるためには、技術も必要だし、取り立ててくれる人脈のあるなしも大きかったと思う。しかし、転職できるという事実を知っていたり、実際に選択する人は少なかったのかもしれない。その時代の農業は生産性が高いものであったし、税金と飢饉を除けば生きていくのには困らなかったのだと思う。

 

という話を入口に、自分の目的を達成することと常識について考えていきたい。

よく常識的に考えてそれは○○だろ、という常識を論拠に話を進める人がいる。30歳までは好きなことをやっても若いからやり直しがきくよ、だからまだ大丈夫だろ、とか。この仕事は未経験だと就けないんだ、とか。○○歳だと、これをしないとね、など言ってくる人がいる。

いつも不思議に思うのは、何に基づいて言っているのかという点だ。恥ずかしながら、自分も後輩にそのような話をしたことがあり、それを思い出してみた。考えてみると、常識とは、数多くの人がやっている行動のことでしかないのだ。それに付随して、その人から語られるのは、その人の周りで起こったこの集合知でしかない。

このことからわかったことは、常識というのは大多数にいる安心感と、なんとなく正しい意見っぽさから生まれるということだ。もちろん、マナーや法律的なことなど大多数がやっており、それができないと不都合しかないものある。

 

大事なのは、常識という集合知を集めたうえで、どう判断するのかだと思う。それが理にかなっているのなら、いちいち調べなくていい。しかし、違和感を感じるなら、一次情報をもっと集め、判断を下さなければならない。

 

結論としては、目的達成のためにありとあらゆる情報と手段を講じていくしかないんだなあ、というありふれたものになった。精進しよう。

学びとは何か 今井むつみ 書評

世の中の多くの人は、やりたいことを仕事にしている人は多くない。米国のGallup社によると、日本において今の仕事が好きと回答した人は6%であり、情熱を持っていないと答えたのは70%であった。

人生で仕事に費やす時間は約7割とも言われ、どうせ働くなら好きなことを仕事にしたいと思った。ここで鍵となる考えは、好きな仕事=何を学ぶか、ということだ。

本書では学びのメカニズムを探っていくと共に、一流と言われる人の学び方に焦点を当てて書かれている。

 

新しい知識は、スキーマという考え方の土台となる概念と照らし合わせて理解される。つまり、個人が持つ知識と未知の情報を対比して、その情報が蓄積されるのだ。だが、スキーマによって未知の情報が理解されるため、全てを受け入れて知識にできるわけではない。この行動は確証バイアスと言われる。

では、どのように確証バイアスを乗り越えて知識となるのか。

それにはスキーマという土台を再構成する必要がある。自身のスキーマ=思い込みを壊すためには、論理的思考と批判的思考によってスキーマを組み立てなければならない。

本書に登場する一流の人として羽生善治が紹介されるが、彼らは思いこみを常に破ろうとしている。

 

一流の人を数値的に分析すると、練習時間と相関関係がある。ただ時間を消費しているではなく、高い集中力で行っている。そして集中力の質は、学びにマズローの欲求5段階説における自己実現欲求のような、ありたい姿のビジョンがあるかによっても変わる。共通したスキルとして、は自己分析力や自己管理力、目標設定力が優れている。

そして一流者は飽くなき向上心を持つ。葛飾北斎が死に際に残したことばは「もう10年、いや5年の命を与えてくれていたら、まことの絵師になれただろうに」だったそうだ。

 

学びは探求する心は遊びのなかから育てられる。遊びはそれ自体が目的で、楽しめ、能動的なものだ。学ぶとは、知ることやつくることに喜びを感じるものなのだろう。発見する、その単純なことが利害や利益、効率性を求めず、ただ楽しいと感じることなのだ。

 

何がやりたいかわからない。好きなことだったのに、いまはそこまででもない。効率性を求めて結果を残したが、これでいいのかと思っている。このように感じている人にぜひ読んでもらいたい。これから何をしたいのか、その方向性を考えるうえでの参考になることだろう。

脳が活発に働く時間帯から考える生産性

朝はクリエイティブや思考する仕事に向いている時間帯だ。反対に夜は創作活動をせず、資格勉強のような覚えたいことを勉強すると、よく言われる。同じ時間を使っているのに、なぜこのような違いが生まれるのだろうか。それは脳のメカニズムが関係していた。

 

脳が活発なる時間帯は起床して4、11時間後周辺で、休むのは8、22時間後と言われている。その他にも、細かく脳の活発レベルがわかれているが、わかりずらい。なので4つにわけ説明する。なお、起床時間は7時として考える。

 

・7~12時(創作向き)

一日のなかでいちばん脳が活発化する時間帯だ。前述したように、創作活動や深くものを考えるのに向いている。また、記憶力も強くなる時間なので、読書するのもいいだろう。

・12~15時(ルーティン・機械的な作業向き)

脳がいったん休憩する時間である。活動レベルも低下するので、ルーティンや思考を必要としない機械的な作業が向いていると言える。

・15~19時(スピード系向き)

一日のなかで二番目に脳が働く時間帯だが、考えるよりスピード重視で行う作業に向いている。たまっているタスクなど、一気に片づけるようなことを割り振ろう。

・19時~23時(記憶的な作業向き)

脳が睡眠に向かう時間である。夜は悪魔が支配する時間とも言われており、企画を考えたり、原稿を書くことはしないほうがいい、と言われる。感情的になりやすく、通常より駄作が生まれやすい。なので、視覚勉強のような記憶したいものを勉強するといいだろう。

 

時間帯によって向き不向きがあるわけだが、朝の過ごし方が大事だ。この時間の使い方によって、スキル向上や思考深度など伸びしろが決まると考えられるからだ。とくにスロースターター気味な自分は、この時間の使い方に着目するべきだろう。

興味の源泉とテーマ設定

書くテーマがなかなか決まらない。興味のあることはあれど、それについて掌編レベルで質の高い(自分のなかで)文章を書くとなると、熱量をもってやらないと挫折する。なので、より興味のあるモノ・コトを探しているわけだが、なかなか定まらない。これは転職活動にも通じるものなので、中途半端にやりたくないと思っている自分がいる。そのせいもあり、一ヶ月はぐるぐるすることを繰り返している。

とはいえ、期限が決まっているのでずるずるいけない。期限を決めて、決め切るしかないだろう。

 

と、まさにアイデアを出そうとしている最中である。では、アイデアを出すためになにをしたらいいか。主に3つ考えている。

ひとつは、自分の興味を深掘りすることだ。内面にもぐり、なぜ興味があるのか。その考えは、どの経験によって生み出されたか。なぜ、なぜとトヨタ式のように、自分の源泉に近づくまでやる。ここでのポイントは時間をかけすぎないこと。この方法は無限にできてしまうため、最悪一生終わらさないこともできる。一週間など、時間を区切り実行する。

もうひとつは、テーマ設定のフレームワークなどを使うことだ。テーマ設定は自分の興味からはじまるが、読者を想定することが前提だ。なので、自分と読者の興味が重なり合う部分を探さなくてはいけない。そこで使うのがフレームワークだ。今回は、「調べる技術 書く技術」著者のノンフィクションライターである野村進氏のノウハウを参考にする。人物・事件・テーマのどれになるかわからないが、まずはテーマ設定に当てはめてみようと思う。

最後は、情報収集だ。深掘りでわかったある程度の方向性で、情報をインプットしていく。そのなかでピンと来たものを、深く調べ、もっとテーマ設定に当てはまるようなら、それに決める。とりあえず、代官山の蔦屋書店が、さまざまなテーマを扱う書籍が集まっているので、そちらに赴こうと思う。

 

期限は2週間弱ほどに設定する。この期間で見えたテーマに取り組み、いい作品をつくりたい。

芸術と人格

芸術とは、表現者のつくったものを鑑賞者が体験することにより、なんらかの感情が湧き上がる活動のことを言うらしい。先入観で芸術を考えていたときは、古くからあり格式高く、娯楽とは一線を画すもの、というイメージであった。しかし、前出の意味ではすべての創作物が芸術とおおきく捉えることができるだろう。絵画や小説、演劇だけでなく、エンタメや漫画、ゲーム、SNSでも、視点を変えれば芸術と見れる。

 

では、なぜ芸術を鑑賞するのだろうか。ほぼ日刊イトイ新聞の対談で、吉本ばなな氏は「表側のニーズは表側で満たせるけど、内側のニーズは満たせない。潜在意識は広大だから、そっち側に対して満たすものがないと人は生きていけないんじゃないでしょうか」と言う。

人間はすべての欲求を満たしている人はほとんどいない。もちろん、世の中にはそのような人もいるが、有限の時間のなかでは難しい。

だからこそ、代用品として芸術が求められてきたのだと思う。芸術を通して、欲望を疑似体験して自分を満たしているのだ。となると、個人の好き嫌いという性格、ひいては人格に根ざすものではないかと考えてしまう。逆に言うと、何が好きかを調べることによって、自分の理解も進む。たとえば、ハリーポッターは未知があふれる魔法世界だ。それを求める人は、既知の現実世界に退屈しているので、疑似体験としてファンタジーを求めるのだろうか。

 

これはコンテンツをつくるうえでも大事な視点だ。IT化が進む現代では、消費者は便利なコンテンツを求める。便利さは生活を補助はするが、感情が揺り動かされる体験が生まれることは、ほぼない。今後ますます膨大になる情報化社会で、体験のない消費よりこころを満たす体験が、今後求められるのではないだろうか。SNSで満たされるのは、表層のみの欲望ではないだろうか。

とある経営者は死の間際、「おれは芸大に入りたかった」と言ったらしい。自分のいちばんの欲求を自覚することも、どのようなコンテンツが感動を生むのかも、これから考えていきたいテーマだ。

勉強は娯楽か?

勉強は娯楽か?

 

最近、マンガや小説、YouTube動画などの娯楽を制限して勉強している。娯楽ができるベース時間を決めて、それ以外は勉強や文章を書いたり、転職活動していたりする。そして、娯楽制限生活で勉強時間が増えた。

 

なぜ増えたのか。主な要因は、行動の優先順位が繰り上がったからだと思う。

いままでの優先順位は

  • 娯楽
  • 興味分野(勉強)
  • やった方がいいこと(勉強・スキル)
  • しなければいけないこと(家事など生活関連)

であったが、その1位が抜けたので繰り上がり、勉強をするようになったのだろう。

とくに書くことやテーマを見つけること、転職活動などに力を入れることができるようになった。

 

できるようになったポイントとして、その行動を楽しめていること。目標と期間の設定、いわゆるマイルストーンとルーティンを設定したからだと思う。自分の行動パターンを変えるには、計画と意識づけが必要だと感じた一件であった。また、将来への危機感の自覚も重要であると感じる。たぶん生存本能的なもので、この任務を遂行できないと死ぬ、ような感覚だ。

 

この調子で就職までやっていこうと思う。

ただ、無理のしすぎには気をつけよう。メンタルヘルスの観点だと、ストレスは、自分の感情(本音)と理性(建前)の衝突から起こるそうだ。とくに仕事ができる人が急にうつ病になったりするらしいので(自分とはあまり関係なさそう)、楽しみを見つけながら勉強していく。