雑記

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「メディアの未来」ジャック・アタリ から感じること、まとめたこと

18世紀のフランスで、ジャーナリズムとは権力の手先という意味を表す否定語だった。大衆を嘘で先導し、上級国民に富と豊かな暮らしを盤石にする職業だったのだ。いまもむかしも、価値のある情報は特定のクラスター内で流通し続ける構造に変わりはない。

 

権力者の都合の良いように情報が流され、大衆はそれらを元に行動する。おそらくそれは事実なのだろう。世界の新聞発行部数の上位5位に日本の三大新聞がランクインしている。しかし報道の自由度では先進国の31国中、28位だ。自由の国の米国も日本より少し上くらいだ。先進国の枠組みを外すと他の低い国は、中国、エリトリア〔アフリカ大陸〕、北朝鮮と続く。自由度が高い国は、ノルウェースウェーデンデンマークがトップ3位だ。国の発展性と報道の自由さは比例しない。

 

情報伝達の変遷

情報伝達の歴史は、人類がことばを獲得してから15世紀ごろまで手段と速度は進歩しなかった。流通の仕組みができるのは、10世紀の商人の増加によるものだ。おそらく商売をうまくやるために、情報を販売し利用した。だから、嘘をつくため、大衆を扇動するため、情報を操作するためにも利用されたし、この世の終わりを告げる手紙で人々は混乱し、フェイクニュースを信じた農民や職人、市民たちが暴動を起こした。

そしてようやくその構造は、15世紀ドイツの活版印刷の登場で情報伝達の方法がに変化したのだ。インターネットが登場する現代につながっていく。

 

情報とはどんなものなのか

産業と情報革命により、社会構造が変化した。現代と前時代で違うことは、ほとんどの情報が開示されやすいことだろう。いや、少し違う。日本において、情報は依然としてだれかに都合の良いものが多い。

言い換えるならば、情報を読み解く知識や思考、思想に関する情報が誰でも手に入る場所に置かれている。情報の正しい見方を示してくれる知識がある、ということだ。
その情報は正しいのか間違っているのか、意図されたものなのか、でたらめなのか、一部分を切り取ったものなのか、解釈なのかなど、主体的に読み解く知恵を身に着けられる。

 

ビジネスを展開するうえで、読み解く層と思考停止する層のどちらにアプローチするかは自覚的な方が良い。一定の割合でB層なる集団はいる。ただ、どの情報に対いてもB層になるのではなく、確度の違いによるのだろう。芸術のように、B層が誤った読み解き方をする事例は多い。