雑記

雑記

文字とビジュアルの境界線。「格闘する者に○」を読んで

出版業界をテーマにしたものを読もうと思い、三浦をしんさんのデビュー作を見つけた。出版のことはほぼ出なかった。処女作は作家の感性が詰まっていると言うが、それらを抽象化するには他作品を読む必要がありそうだ。

 

気になったところは2点。

ひとつは、批評的な文章が書かれているときだ。
作中に主人公が批評やバッシングをしていても、その物言いが一砂のユーモアが加えてあるので水のように淡々としている。文章に突っかかるストレスがないので、共感しやすいポイントに素直に共感できるし、物語に集中しやすいと感じた。

もうひとつは自然な表現だ。
書き出しの古風さが、主人公が女子大生であることの距離を縮めてくれる。冒頭においての理由の説明手法が、わざとらしくなく自然体なのだ。
鴻上尚史の本で読んだ、演出法の「自然に表現」していると近いと思った。それは美術館が舞台であると観客に伝えることの例があった。高校演劇では美術館に来たことを「わあー、美術館っていいね」のように日常で言わないセリフを言わせてしまう。自然なら「青の時代はピカソの暗さが色に表れているね」「スマホで見るのと、実際に見るのは感覚が違う、なんでだろうね」などであれば、リアリティを感じるセリフだと言う。それが主人公の設定が友人との雑談の形で展開(年配者と付き合っているなど)される。一人称の説明を省いたがゆえに、物語に早く没入できるのだろう。

やはり読書は身体性のあるものだと感じた。演劇表現が文字表現に適応できるのだから。チェーンソーマンにも映画の表現が使われているとかなんとか。

 

戦前の文豪のように「名文」というものはなかったが、全体としてストレスなく読みやすかった。そのことに積み上げられたなにかを感じた。24歳だという。