雑記

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他者にみる鏡面性

本日、出勤時に電車のなかでホームレスに遭遇した。街中で目撃することはあったが、電車内で一緒の空間にいるのははじめてだった。

その場で感じたことを率直に言うと、一般人からはけっしてしない臭いがする。たとえるなら、大きめのマンションやホテルだと8畳くらいのゴミを収集する一室があったりするのだが、その臭いに近い。廃棄物の臭いがそれらに染み渡っているのだ。

さすがにマスクをしていても臭いに耐えきれなくなったのか、周囲5メートルくらい人は席を立ったが、半径10メートルは臭いが蔓延していた。

 

ホームレスが臭いことを言いたいのではなく、なぜホームレスで日常を過ごせるのかが気になった。日本には生活保護制度があるので、収入がなくても人並みの生活は保障される。もちろん、自由があるかは別だが、住むに食うに困ることはない。なぜ、雨風も凌げない路上で生活しているのか。そして、生きているほかに娯楽などもないのに、その生活を続ける理由はなんだろうか。

 

私の答えは、無知と慣性だ。

ひとつ目の無知は、生活保護やその他の制度を知らないためやむを得ずホームレスになってしまったということだ。ちなみに、あえてその道を選んだとしても、選んだ先の将来に無知であれば、同様だと考える。

もうひとつの慣性は、現在の環境に良かれ悪かれ順応してしまい、新しい環境を拒むことだ。よく30歳までに仕事や何かしらに挑戦できなければ、その年齢以降は挑戦することが難しくなると聞く。これは、慣性により挑戦するより挑戦しない経験の比率が多くなるためだと考えられる。つまり、歳を取ればとるほど新しいことに取り組むことが出来なくなるのだ。もちろん、周囲の目や環境なども要因として挙げられるが、自分の感覚の慣性がいちばん大きな原因だと思う。

 

これらから得られる気づきは、いまいる環境を長く維持してしまうと、そこから抜け出せなくなること。そして抜け出すのは時間制限があるということだ。

また、人の振り見て我が振り直せと言うが、まさに頭の痛い話だ。自分を写すのは他人だと、実感させられた出来事であった。