雑記

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「ソロモンの偽証」を見て思うこと

学校は社会の縮図と言われる。教師という権力者と生徒という強制労働者の表側と、校内の状況は外部から不可侵という裏側があるからだ。校内という海を渡っていくには、権力者にいかに気に入られるか、周囲の労働者のなかだポジショニングを獲得するかに左右される。その独裁国家の中の物語を本書は描かれていると思う。事実ではなく、どう大衆に思われているかが、自分が快適に過ごすカギになる。

 

注目したのは第二部にあたる「決意」の部分だ。ポイントは3つある。

ひとつは裁判ができる能力を持つ仲間を集めること。プロジェクトを達成するために必要な「ヒト・モノ・カネ」を用意する段階だ。
もうひとつは大衆に受け入れられる形をつくることだ。今回は学校内裁判というイベントがそれにあたる。
さいごは企画だ。だがこれは、犯人を証明する学校内裁判を開くという目的が決まっているので、この部分の描写は少ない。ビジネスだと、企画の根幹を決めるが大変だと思う。が、事件が企画の着想をほぼ決定づけている。

全体を通してさまざまな人間が存在することを実感した。そしてビジネスも構造が同じだ、とくにエンタメ業界では。

 

ある著述家が著作を50冊出してプロになれる的なことを言っていた。宮部みゆきの著作をちょっと調べてみたら30年間で300冊以上はある(あるサイトでは900冊と)。ということは年間で10~30冊を書いている。月に1、2冊相当を書いた宮沢賢治より筆が早い(彼は手書きでそれなのだから、それはそれで恐ろしいが)。
宮部みゆきの本書のインタビューを見たところ、さまざまなところからオマージュをしているらしい。書く量もさることながらそれ以上に、読む量も膨大だったのだろう。プロフェッショナルの頂点というものに、少しふれられた気がした。