雑記

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剽窃と翻案と

近年、小説や音楽作品などを剽窃したとして、さまざまなエンターテインメントで議論がなされている。中には事件に発展するものもあり、アーテイストやクリエイターにとっては、この問題は意識せずにはいられない。

 

では、なぜこのようなことが起こるのだろうか。

昔から秀逸な作品から、大筋を参考にしたり着想を得たりモチーフにしたりなど、翻案と言われる作品は多く作られてきた。そもそも、現代まで引き継がれた技術や方法論は、過去の作品を研究し、参考にして編み出されたものであるから、完全なオリジナルというものはほぼほぼ存在しない。どれだけ唯一性があるように思えても、必ず何かに由来しているものなのだ。なので、翻案の域まで作品を磨き上げていれば、もはやオリジナルと同等の扱いでもいいと思う。

 

剽窃と翻案の違いはなんだろうか。

それは、作品に対する敬意の問題ではないかと思う。参考にした作品に敬意をもって、自分の色を足していく。その色が少なかったために、元々の作品とほとんど同じ色に見えるから、剽窃と言われてしまうのだと思う。もちろん、剽窃をしないという意識が前提にあってのことだが。

 

ぼくが思うに敬意を忘れてしまう原因は、考えの浅さにあるのだと思う。

昔に作られた、自分が一からつくることができないような作品を参考にさせてもらってるのに、それを忘れて自分の頭で考えることを、面倒くさがってしまった結果、作品のエッセンスのみならずディテールまで使いこんでしまうのだ。

この現象は誰にでも起こりうると思う。もちろん、未熟なぼくなんて気を抜けば何が起こるかわからない。

とくに自分の頭で考えること、作品や技術などの敬意を忘れないこと。これは一生忘れてはならないことだ。