雑記

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常識と真理、どちらを優先するべきか

常識から外れて、人に迷惑をかけるな、と大人はよく言う。

辞書的な意味で言うと、ある時期のある社会での共通認識とされる価値観や知識のことを言い、それを身に着け円滑な社会生活を送ることができるものである。

たしかに、常識に従っていれば、人間関係で大きなトラブルは発生しないし、生活で不自由はない。おおよそ満足のいく生活が送れると思う。

しかし、常識に縛られて生きていて、人生は満足だろうか。もちろん、基準としてふつうの、常識を知ることは大事なのは間違いない。だが、自分のやりたいことが常識に反する場合、それを諦めるのだろうか。

 

ここで言いたいことは、常識と真理は違うということだ。「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」と、天才的物理学者のアインシュタインが言うように、常識は特定の人たちがつくりあげた一価値観でしかない。

それに人生の委ねるのは、少し危険ではないか。大きな成果を出す人には、よく常識がないと言われるが、彼らは常識を知らないわけではない(知らない人もいるが)。あえて、常識を無視しているのだ。なぜなら、その常識という法則に従っていたら、成果を残せないからである。

 

まとめると、常識は知りつつ、常識が真理でないと感じたなら、どうしたら真理に近づくか思考するしかない。成功法則は、研究して見つけるしかないということだ。そういう意味で、研究者のアインシュタインは参考になることだろう。