前に書いた取材執筆推敲 備忘録「取材①」の後半をつづる。
ライターの自分を切り離す
原稿を成立するために場をコントロールできてこそ一流の聴き手でありライターだと考える人も、多いのかもしれない。
だが、これらはすべて「ライターの都合」である。
そのため、いい聴き手に徹する。そもそも雑談とは、好意や信頼のなかからしか生まれないものだ。
最終的に、「気がついたら、こんなところにまできてしまった」「おかげで、はじめてことばにすることができた」と思えるような場所にまでたどり着く取材が、理想である。
お互いがそう思える取材が、最高の取材なのだ。
質問の主語を切り替える
質問の簡単な原則は、「訊くべきこと」と「訊きたいこと」を持ち、それぞれ切り分けておくこと。
本音と秘密を混同しない
読者はいつも「出会い」「発見」を求めている。
だが古賀氏は、ライターとしてその人が「言いたくない」ことは訊き出さない。
本音とは本来、リラックスした会話のなかでこぼれ落ち、それを「拾う」ものであるからだ。
質問力を鍛える「つなぎことば」
どうやって質問を考えているのか。古賀氏の答えは、接続詞。人間の脳の設計は、冒頭に接続詞を置いてしまえば、その続きを考えざるをえなくなる。
「でも」(否定から入る癖)は、よくない。
「ということは」などは、相手の話を引き継ぎ、発展させていく質問だ。
習慣化のトレーニングとして、
自分のなかに接続語(主に接続詞)のストックをたくさん持ち、それぞれに続く問いを考え、瞬時に言語化できるようにする。
第3章 調べること、考えること
取材には3つの段階がある
取材は3つの段階に分けて考えている。
・前取材
・本取材
・後取材
わかりにくい文章が生まれる理由
ライターは「自分の頭でわかったこと」しか書いてはいけない。
わかりにくい文章とは、書き手自身が「わかっていない」文章だ。
その人固有の文体をつかむ
古賀氏は、個性を消してしまった匿名的な文章を「声が聞こえない文章」と呼ぶ。
どうすれば原稿に「声」を吹き込めるか。
- 「なにが語られたか」より大切な「どう語られたか」
- 音源はかならず自分で起こす
- 目を閉じてその人の声が聞こえるか
以上の要素を押さえていけば、「声の聞こえる文章」に近づいていける。声の再現は、テクニックよりも「その声に触れた回数」にかかっている。
最後に残された取材相手とは
ライターの存在意義とは。
入念に取材を重ね、返事を書くようにコンテンツをつくっていく。つまり、「取材者」が本質だと。読者に届けるのが、ライターだ。
それゆえライターは原稿を書くにあたって、取材を終えた「わたし」にマイクを向ける。
問いかけることばは、なんでもよい。自分に問いをぶつけ、自分に答える。それが自問自答だ。後取材において大切なのは、自分だ。自分のことばを持った「わたし」が書くものだ。
理解と感情の4ステップを追う
取材を終えたら、どれくらい「伝えたい!」か。どうすれば伝わる。読者に一致するか。そもそも核心か。
原稿に臨む前、取材を振り返り、自分の感情を丹念に追っていく。対象についてなにも知らなかった自分が、そこに飛びつき、「伝えたい!」と思うまでに至った、理解と感情のステップを追っていくのだ。
- 「おもしろそう!」…動機
- 「知らなかった!」…驚き
- 「わかった!」…理解
- 「もったいない!」…衝動
動機・驚き・理解・衝動までのストーリーラインをすべて読者と共有できたとき、そのコンテンツは抜群におもしろいものとなるのだ。
最良の反対意見を探す
取材者(ライター)はある意味、「好きになる仕事」だ。
が、好きが先走った結果、ひとりよがりなコンテンツになる危険もある。
対象を好きになりすぎることは、まったくかまわない。寝ても覚めてもその人を思うようになってこそ、取材者だ。
しかし、対象を大好きだからこそ、「最良の反対意見」を探そう。
そしてもし、「最良の反対意見」を説き伏せる材料を見つけることができたなら、もうなにも心配する必要はない。まさに「わかったうえで、書く」ことができる。最良の反対意見とは、真摯に向き合うべき「最良の読者」なのである。
取材という名の知的冒険
ライターが原稿を書くとき、ぜったいにやってはならないのが「嘘をつくこと」だ。
対象を「知る」からはじまり、「わかる」にたどり着くまでの、知的冒険だ。
嘘を書かないため、「わかった!」と思えるところまで考え続けよう。
これにて取材の項は終了。次回以降は、「執筆」の備忘録が登場するかもしれない。